愛する女性とのSMプレイ入門講座 | アダルトグッズなら「女性も安心KIYO」


◇ 愛する女性とのSMプレイ入門講座 ◇


第2講:SMは「変」態、なんかじゃない
◎ SMに対する偏見
週刊誌でも、テレビの深夜番組などでも、これほど「SM」という言葉が賑やかに踊っている昨今でも、いざ、自分が誰か「日常世界」の人を相手にSMを実行しようとすると、乗り越えがたい、厚く高い障壁が立ちはだかっているように思われます。

 確かに、お金を払えば、いわゆるSMクラブなどで、SM嬢を相手にSMの体験をすることはできます。ただ、これはあくまで、「日常世界」とは隔絶したSMクラブという密室の中で、時間も限られた特殊な体験に過ぎません。例外はあるでしょうが、そういう場での行動は、一般には、深い意味での愛情とかは別の、強いて言えば「欲情」の世界の出来事と言って差し支えないでしょう。
 おそらく、だからこそ、これほど「SM」という「言葉」だけは市民権を得たように見える現代でも、日常世界の中で、「SM」という実践を伴った行動に踏み切ろうとすると、超えがたいハードルがたくさん聳えている…ということになるのです。

SMを日常世界に取り込むこと…それこそが、SMに対する抜きがたい偏見を取り除くための、ほとんど唯一の手段とも考えられるのはそのためです。
そもそも、なぜ、それほどまでにSMに対する偏見が強いのでしょうか?
これは、一般に、SMが相手の人格を踏みにじってまで、Sの側が一方的、絶対的にM(とされる)相手を痛めつけることに快感を見いだす、と考えられているからです。
 けれども、果たして、それが本当のSMなのでしょうか?

◎ 本当のSMとは?
そこで、「本当のSMとは何か?」という、恐らくは、永遠に答えの出ない疑問が湧いてきます。
この疑問に対する答えは永遠に出なくても、この疑問になぜ答えが出ないかという理由には答えることができます。
 SMというのは、本来愛情表現の一つの形であり、愛情もその表現法も愛し合う当事者2人の間の、感情、心理、生理によって千差万別です。
となれば、愛情表現の形態の一つであるSMというのも、千差万別の形があり得る訳で、「本当のSMとは何か?」という問いに対して唯一絶対の回答が出ないのは当然ということになります。

 SMに対する偏見は、結局、「愛情行為には正常も異常もない」という、実は当たり前の現実を忘れた所から出てきます。反社会的な行為でない限り、、他人に迷惑や危害を及ぼさない限り、当人同士が合意すれば、「変態」も何もないのです。そもそも「変」態とは、「常態」が定まっているからこそ生じるものであり、「常態」が決定できない愛情行為において、「変」態などというものは、考えられないのです。 

もっとも、「本当のSMになるための条件は何か?」という風に問い方を変えれば、この質問には直ちに回答が可能です。SMというのが、愛情表現の一つのあり方、という根本に立ち帰れば、本当のSMの条件とは愛情である、という答えがほとんど自動的に返ってくるはずです。
 本講座のタイトルが「愛する女性とのSMプレイ講座」となっているのもそのためです。

愛情のないところに、本当のSMはないのです。本講座が、婚約中の二人、または既婚者の夫婦を主な対象として書かれているのは、そのためです。本当の愛情というのは、一朝一夕に実現するものではなく、何ヶ月、何年、何十年という、長い長い期間を経て育て上げられ、その結果として熟成されてくるものです。
そうした愛情と信頼関係があってこそ初めて本当のSMも楽しめ、また、逆に本当のSM体験を通じてお互いの愛情が更に深まり、強まるという、良き循環が生まれるのです。

今回は、かなりお説教めいた始まり方をしましたが、これから展開するSMの実践の前提として、愛情と信頼関係が、絶対不可欠であることを、しっかり認識していただきたいからです。
そうした愛情と信頼関係があれば、相手も、SM実践を喜んで受け入れてくれるでしょう。
逆に言えば、いくら、言葉を尽くし、テクニックを磨いても、底に愛情がなければ、相手は頑としてして、SM行為を拒否し続けるでしょう。
確かに「SMプレイ」には、「プレイ」という、遊びの要素があります。
けれどもこれは、文字通り、身も心も裸になって、命がけで尽くし尽くさせる、全人的行為であり、「プレイ」とは名ばかり、本当に真剣勝負と言ってもよいものだということは最初にはっきりとしておいた方がいいでしょう。
◎ 間接法と直接法
 ところで、普段のさり気ない会話の中にSMの話題を滑り込ませると言っても、具体例がないと、なかなかうまくいかないものです。
SMの話題を採り入れようと意識するあまり、かえって会話がぎごちなくなってしまって、「今日のあなた、何だか変よ」なんて言われたら、もうオシマイです。

 そこで、まず、SMの話題の採り入れ方には、「間接法」と「直接法」の2つがあることを覚えておきましょう。
 「間接法」というのは、「自分が…」、「あなたが…」と言った具合に、話し手である自分や話し相手である相手が直接に関わらずに済むような、話題の取り上げ方です。
 それに対して、先ほどの「○○子、今晩、ちょっと変わったセックスしてみないか?」などというのは、自分や相手が直接関わることになるわけですから、「直接法」ということになります。
 「間接法」は、「直接法」と違って、「露骨な言い方」でない言い方である、とも言えますが、単に露骨かそうでないか、というだけではないことに注意しましょう。

 考えようによっては、「○○子、今晩、ちょっと変わったセックスしてみないか?」は、露骨ではありません。「SM」と言う言葉はここに出ていないからです。
「変わったセックス」という言い方で、少なくとも本人にはそれと分かる婉曲な言い回しが使われているからです。
けれども、普通なら、相手は、「『変わったセックス』って、なあに?どんなこと、するの?」と問いかけてくるはずです。
ここで、「SM」ということを隠すわけにはいかなくなります。
つまり遅かれ早かれ、「自分たちはこれからSMをやるのだ」、ということがばれてしまいます。

ここでのキーワードは「自分たちは」ということです。SMに限りませんが、他人事ならどんなことでも平気でいられるものですが、いざ、我が身に関係するとなると、とたんに身構えてしまうものです。その「構え」をなくすのが、「間接法」ということになります。
最初は、「直接法」は極力避けて、専ら「間接法」に徹するべきです。
◎ SMを日常世界に引き込むための下準備
先回、日頃のさり気ない会話の中で、いわば「サブリミナル」的に異常なニュースなどを題材にして、非日常的な出来事を日常世界に引き寄せるテクニックをご紹介しました。
 今回は、そうしたサブリミナル効果がある程度出てきた段階として、「あちらの」出来事を話題にするのではなく、逆に、今度は自分の側の出来事を話題とするテクニックをご紹介します。

「自分の側の出来事」とは言っても、「○○子と、ずっと前からSMやりたいと思い続けてきたんだ…」などというのではありません。
こんな台詞はもっての他!これまでの周到なサブリミナル効果が台無しになってしまいます。

 一応、あなたがSの側、相手の女性をMの立場に置きたいという目標を設定して以下の話を進めますが、実は、このような立場に固定する必要はなく、目的に応じて、逆の話し方で持っていくこともできます。

 さて、あなたがSの場合、むしろ、逆にあなたのMの体験談を話すのです。「自分はSなのにMの体験談なんか、持ち合わせているはずはないじゃないか…?」と思われるかもしれませんが、実体験に基づくものでなくても、他人から聞いた話、小説などで読んだ話、など、フィクションでも構わないのです。ただし、作り話と見破られないほどに現実味を持った話の内容を持ち、嘘っぽくない話し方を通すことが何より大切です。

ところで、「Mの体験談」と言っても、何を話したらよいのでしょうか?
まさかSMクラブに行って、M体験をした、その時の様子を話すわけはありません。
 そもそも、Mの体験談を話すというのは、「特殊な異常世界の出来事」として、一線を引いた向こう側にあると思い込んでいるM的経験が、実は身近な人、他でもない、愛する「この人」も、以前日常世界とそう懸け離れてはいない所で体験されていたのだ、ということを気付かせるのが目的です。
ですから、SMクラブという特殊な世界の体験談を話しても、テレビから流れてくる猟奇事件と同列に解釈されて、何の意味もありません。
むしろ、「SMクラブなんか行っただなんて!」と軽蔑され、嫌われてしまうのがオチです。
◎ M体験談の例
さて、そうなるとなかなか難しく感じられるかもしれません。
例えば
戦前なら、徴兵検査で、男子は皆、男として正常なことを検査されるという、M体験を誰もがしたそうです。
しかし、現代日本ではそんなことは昔話です。
 そこで、それに似ていなくもない体験談として、中学か高校の時の運動部での出来事を「体験談」として話してみるとというのはどうでしょうか。
自分自身運動部での部活の経験がない場合は、運動部に属していたごく親しい友達と、その現場を見た…と言った具合に持っていけばいいでしょう。
運動部は、特に昔はかなり閉鎖的で、体力、精神力を鍛えるという名目の「しごき」がかなり広く行われていました。
 当然、そこではSMまがいの−−時には、SMビデオなどの想像を絶するような−−行為が、隠然と行われていたのです。それをあたかも自分が体験したかのように語って聞かせるのです。

 例えば、以下のようなのは、どうでしょうか。再び、夫婦の会話ということで進めます。
 テレビで、何か学生スポーツ大会の中継か何かを見ながら、切り出すというのが一番自然です。

夫:うまい!大して背が高くないのに、あのジャンプ力は、半端じゃないな。
妻:あの選手、身長がチームで一番低い、って言ってたわよ。
夫:日頃の訓練の賜だな。
妻:どんなにしたら、あんなに凄いジャンプ力、付くんでしょうね?
夫:一に訓練、二に訓練…。とにかく、夏休みも冬休みもない、毎日、毎日、練習だ。
妻:それじゃ、いつ遊ぶの?
夫:遊ぶ?冗談じゃないよ。全日本であそこまで行くには、遊びなんて…。
妻:いくら日本一になれるかもしれない、って言っても、中高生時代に遊ぶことさえできない、なんて、何だか可愛そう。
夫:チームワークが大切な競技は特にそうなんだ。俺も、一応バスケで県大会まで行ったが、あれは辛かったなぁ。今でもときどき夢に出てくるのは、練習を無断でさぼった罰を受けたときのことだ…。

妻:何で練習、さぼったの?
夫:町に、当時人気のグループサウンズが公演に来る、ってことになって…。それがちょうど開校記念日と重なって。だから、部活のない連中は、大手を振って見に行けたんだが、予選を一週間後に控えた俺達は、最後の調整練習、ってことで、全員登校しなければならなかった。
 ところが、俺とトキ−−○○子も知っているだろう?「時田」の奴−−は、さぼって見に行ったんだ。 そうしたら、翌日、体育館に呼び出され、さんざん、しごかれた…。


妻:「しごかれた」…、って、どんな?
夫:○○子の前じゃ、格好悪くて言えないなぁ。
妻:教えて、教えて!二人の間じゃない、ね、ね!
夫:結構、いやらしい話だぜ。
妻:「いやらしい」…、て?
夫:この際、話しちゃおうか。その日の練習が終わって、俺達二人は体育館の用具置き場に入れ、って言われた。用具置き場は狭いから、全員入れないので、みんなジャンケンして、各学年二人ずつ、主将と副主将はもちろん、入って、全部で俺達も入れて十人だけ、入った。 そこで、「昨日さぼった罰だ。服を全部脱げ!」って言われて…。

妻:えっ!?真っ裸に…?
夫:そうさ。仕方ないから、二人とも裸になると、「両手を頭の後ろに組んで脚を大きく広げて、並んで立て」と言われた。
妻:あら、いやーだ。
夫:それから、ボールの革に塗るクリームをお尻の穴に塗り込まれた。
妻:まぁ、いやーだ。
夫:そうされていると、どうしても、「息子」がいやでも立ってくる…。そして、「どっちが先に、遠くまで、飛ばせるか、競争してみろ!」って言われた。「時間と距離が両方とも勝ったら、勝った方は、しごきは今日で終わりにしてやる。
負けた方は、明日、一人で別のしごきだ。もし、片方は時間で勝ったが、距離では負けた、というようになったら、引き分け、ということで、明日、もう一勝負だ」


妻:ひどいのね。で、どうなったの?
夫:聞きたいか?ま、結果は聞かない方がいいだろうな。…

 こんな具合にSの方が、昔のM体験を回想する形で、相手に聞かせてやるのです。
 こうすると、M体験は、意外に身近なところに実は潜んでいたのだ、という新しい発見をすることになります。しかも、愛する夫がその「被害者」だったということを知り、妻は、被虐感と母性愛との板挟みで実に複雑な心境を体験することになります。

 −−これが、日常世界におけるSMへの序奏だとは、夢にも知らずに。。。。。。

(次回に続く)

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